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生体腎移植

生体腎移植は、親、子、兄弟などの親族、または配偶者から腎臓(1個)の提供を受けます。移植が可能かどうか事前の検査が必要なので、臓器提供者(ドナー)候補者と一緒に移植を実施する病院を受診します。以前は、親が子に腎臓を提供する親子間の移植が主体でしたが、最近は配偶者間の移植が増加、ほぼ同じくらいの実施件数となっています。


臓器提供者(ドナー)の選択

生体腎移植のための腎臓提供者(ドナー)には、下記のような倫理的条件と医学的条件を満たす必要があります。医学的な条件については、特に定められた基準があるわけではなく、医師による医学的判断が基準です。このため、移植施設によっても異なる場合があるので、詳細は移植施設の担当医に相談してみてください。

日本移植学会倫理指針より

  • 親族(6親等以内の血族、配偶者、3親等以内の姻族)であること(右記図参照)
  • 心身ともに健康な性腎であり、意思表示がしっかりできる人で、自発的に腎臓の提供を申し出ていること
  • 2つの腎臓が機能しており、腎臓の働きが良好であること
  • 全身性の活動性感染症、悪性腫瘍(治癒したものは除く)などに罹患していないことなど

※腎結石など腎臓に疾患があったり、70歳以上の高齢者であったりする場合はドナーとして適格かどうかが慎重に検討されます。

事前に必要な検査

ドナーは腎臓の提供を受ける受腎者(レシピエント)とともに移植施設を受診します。
主な検査は次のようなものです。
  • 血圧などの身体所見
  • 血液・尿・感染症の検査
  • ガン検診
  • 腎臓の画像や血管走行の検査
  • 組織適合性検査(HLA検査) など

検査費用については「移植治療にかかる費用」のページをご覧ください。

移植手術について

ドナー

ドナーの腎臓摘出手術は、一般的な開腹手術内視鏡下手術の2種類あります。傷が5~6cmと小さいこと、術後の負担が少なく回復も早いことから、現在では内視鏡下手術が多くなっています。手術は全身麻酔で行い、約3時間程度かかります。内視鏡下手術であれば、術後1週間程度で退院が可能で、退院後の日常生活や社会復帰が早期に可能となります。一方で、腰部を30cm以上切開して行う開腹手術に比べて狭い空間で手術操作をするため、手術時間が30分~1時間程度長くかかる傾向にあります。また、摘出する腎臓が隔離操作でダメージを受けたり、出血などの手術中の合併症が起こったりする可能性がほかの方法よりも高いと考えられます。

レシピエント

基本的には献腎移植と同じです。献腎移植の「手術方法について」をご覧ください。

ドナーのリスクについて

ドナーにおける腎摘出手術自体に伴う死亡率は限りなく0に近いですが、日本ではこれまで約2万人を超える腎摘出手術の中で2013年にはドナーの死亡事故が報告されています。また、ドナーの腎臓が1つになることで、腎機能は提供前の約70~75%となりますが、その後はほとんど変化しないとされ、摘出によって透析や移植が必要な腎不全となることはまれです。しかし、腎臓を提供したドナーには、提供後に高血圧や蛋白尿が認められることがあり、これらはわずかに悪化しただけでも心臓病や慢性腎臓病へと進行する可能性があるため注意が必要です。
また、ドナーは腎臓を提供していない人に比べて肥満となる頻度が高く、肥満は腎機能の低下を招くことがわかっているので、手術前に腎提供によるリスクについて十分な説明を受けることや、提供後は長期間(10年以上)にわたって定期的(少なくとも年1回)に外来受診することが大切です。

血液型、HLA(ヒト白血球型抗原)型が不適合の場合

ドナーとレシピエントの血液型は、従来は適合していることが条件でしたが、医療技術の進歩で不適合の場合でも移植が可能になっています。また、白血球のHLA(ヒト白血球型抗原)型も、献腎移植では適合度の高い組み合わせが選ばれますが、生体腎移植の場合は適合しなくても行われます。ただし、家族の提供希望者が複数いる場合は、血液型、HLA型の条件がよい人に提供してもらうことになります。

移植者の声

血液型の違う夫からの生体腎移植

群馬・清水伸子さん 49歳(透析歴16年)
22歳ごろからタンパク尿を指摘され少しずつ数値が悪くなっていき、透析導入前は1年間、薬物療法の治療を受けながら入院していました。この入院期間がとても辛かったんです。だから、32歳で透析導入となったとき、「入院生活から解放される!」という思いの方が強かったですね。導入後1年ぐらいで休職していた会社に復帰、午前中に透析を受けてから勤務していました。治療後で体がしんどい日もありましたが、理解を示してくれた会社に感謝する日々でした。
それから8年ぐらいは医師に言われるままのいわゆる「お任せ透析」で過ごしてきましたが、40歳の時に拡張型心筋梗塞の合併症を発症し、何種類かの薬が合わなければ、透析をしながら死を待つしかないということを医師から宣告され、はじめて透析と向き合いました。「もうダメかもしれない……」そう思ったとき、もっと透析を真剣に考え、透析療法を知らなくては!と痛感したのです。そこで、合併症の治療と並行して透析療法の仕組みや治療、自分に合った食事や水分の管理、薬の飲み方などを必死に模索、それまでは何となく参加していた患者会の勉強会にも積極的に参加するようになりました。

生体腎移植に意識が向いたのは、通院先で行われた勉強会がきっかけでした。その日はたまたま主人が自宅にいたので一緒に参加しました。実は、献腎移植登録は透析導入後すぐにしていたのですが、ずっと連絡がなく、自分とは関係のない話だと思っていました。でも、その勉強会で聞いた生体腎移植の話は、私が「移植は難しい、大変だ」とイメージしてのとはまったく違い、「こんなに簡単なの!」とまさに目からウロコのような内容でした。
透析をしていると、遊びにでかけても自由に泊まったりできない不便さや、透析スケジュールを考えて外出の計画を立てなければならない面倒さなども感じていて、できならば移植をしてみたいという思いが膨らみました。ただ、いくら夫婦といっても、主人に腎臓を提供してもらえるかどうか相談するのもやはりためらわれました。主人も移植にまったくイメージがわかなかったようで、取りあえず適合するかの検査だけでも受けてみようということになりました。そのときは、血液型も違うしどうせ合わないだろう…という気持ちでした。ところが、主人の休みを利用して2日間の猛スピードで検査したところ、適合という結果でした。主人の仕事のことも考え、定年まで待とうかとも話しましたが、先生からは私自身の体を考えてもできれば早く、と言われました。移植手術をすると仕事をしばらく休む必要があるので、そのことも不安でしたが、主人は会社で「奥さんのために素晴らしいですね」と言われたようで、そのひと言が彼の迷っていた気持ちを後押し、「決めてよかった」と実感したそうです。私自身も、その安心した顔を見てホッとできました。

そして2013年4月2日に手術、執刀医も驚くほど順調な手術と経過で5月15日に退院しました。今は主人も会社に元気に復帰し、私も6月末には患者会の仕事(群馬県腎臓病患者連絡協議会の事務局勤務)に復帰しました。
まだ、移植したという実感は薄いのですが、透析治療について必死に勉強したことも、関係ないと思っていた移植を実行できたことも、患者会に入って勉強会に参加したり、実際に関わっている人たちから話を聞けたからだと思います。どんなにインターネットで情報を得られるようになっても、実際に会って話を聞くというコミュニケーションは、どの時代でもいちばん大切で、自分自身に返ってくるプラスの要素だと思います。私の体験を仲間に聞いてもらって、みんなに希望を持ってもらえるような活動をしていきたいと思っています。